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「情報」とは何ぞや?

「情弱」という言葉がある。

いわゆる「情報弱者」の略であり、マスコミ報道やインターネットなどに触れる機会が少なく、情報の入手において不利な環境にいる人、または古い偏った知識を固持して情報のアップデートをしない人のことを指す。

一方、反対の「情報強者」とは、一般人が知り得ない価値ある情報をたくさん持っている人を指すことが多いのだが、真の「情報強者」とは、情報やコンテンツを”発信する人”のことを言うそうだ。

情報を届ける人の数(リーチ数)が多ければ多いほど、逆に発信者側にもどんどん情報が回ってきてさらに多くの情報を持つことになるという。

現代はgive&takeではなく、「give、give、give」の時代だと言われているが、まさに、「与えよ、さらば与えられん」という格言通りの状態になるというわけだ。

 

 

前置きはさておき、

タイトルの「情報」とは何ぞや? についてだが、

結論を言うと、

例えば、Aという情報があったとして、そのAという情報が自分にとって必要か否か、はたまたAが「真実」なのか「真実でない」のかは人によって異なる、と私は考える。

そんなの当たり前だと思われるかもしれないが、その当たり前が判ってない人が多過ぎるように思う。

 

「正しさ」は人によって違うのだ。

絶対正義、絶対悪というのは存在しないのではないかとすら個人的には思っている。

 

この情報過多の現代において、本当に自分にとって必要な情報を勝ち取れるかどうかはとてもとても難しい。

そのためにはまず、他人の価値観を認めること、多様性を受け入れることから始まると思う。

無知の知を自覚し、反対意見にも耳を傾ける度量を持ち、さらにはそこから自分にとって真の情報を選び抜く能力が求められる。

その能力を養うには、やはりまた、物事を判断するための情報や知識が必要となり、結局は学び続けるしかないということになる。

 

 

テレビや新聞、ネットニュースの情報は既に歪曲されたものも多い。メディアはそれぞれのルールや価値観、さらには明確な「意図」を持って発信している。

そんな「操作」されていると言っても過言ではない情報を鵜呑みにして躍らされる人にはなりたくないものだ。

 

 

 

情報とは、「情に報(むく)いる」と書く。

人間は基本的に自分勝手な生き物だが、そんなエゴが蔓延しているこの世の中で、情が通った利他的な情報も必ずあるはずであり、それこそが信用に値する真の情報と言える。

エゴではなく、他者をおもいやっているかどうかが肝要である。

 

 

…などと受け売りの綺麗ごとばかり言っている私だが、果たして当ブログの情報は真の価値が有るか否か…

 

 

それを判断するのは読み手自身にかかっている。