「言葉」というものは本当に怖いものだ。
あなたはそう思ったことがあるだろうか。
影響力のある人間が、何気なく発した言葉が、誰かを傷つけた。
そしてその傷ついた誰かのために、見ず知らずの誰かがまた、傷つけるようなことを言う。
言われた側だから、許されるとでもいうように。
正当防衛だとでもいうように。
今の時代は本当にシビアだと思う。
シビアというか不寛容だ。
とにかく、息苦しい。
たった30年ちょっとしか生きてない私だが、生きづらいと思う。
自分のせい?
他人のせい?
国のせい?
わからない。
でもたぶんどれも正しくて、どれも間違っている。
事実だけがそこにある。
受け入れなければならない。
「生きづらい」事実は受け入れ、そして少しでも改善できるよう、結局は自分でなんとかしなければいけないのだが。
自分の問題と他人の問題がある。
他人は変えられないことは判っているが、それでもやはり、人に対して厳しい人が多すぎると思う。
自分もかつてはそうだった。
そういう時があった。
まだ今もそうかもしれない。
でも、そんな自分の性格は、変えなければいけない。
他人よりもまず自分。それは大前提。
大前提なのだが、言いたい時もある。
話を戻そう。
誹謗中傷問題。
結局、人間というものは自己中心的なものなんだ。
自分のことは棚に上げ、人の失敗を叩く。
匿名性を利用して叩く。
謝ってても叩く。
一体どこまでいけば、気が済むのか。
自粛警察も同じだ。
相手の立場や状況も考えようとせず、自分勝手な正義を振りかざし、おとしめる。
おとしめている気はなくとも、結果おとしめようとしているのだ。
例えば自分の大切な人に、良かれと思って放った言葉だったとしても、実はその人を苦しめてることだってあるんだよ。
だから難しいんだ。
言葉というものは。
だからもう少しだけ
もうすこしだけ、寛容になろうよ。
人に優しくなろう。
人は完璧じゃないんだから。
あなただって失敗した時、結局は許されてきたんだから。
だから、許そう。
肯定しよう。
人の失敗や言動に寛容になろう。
皆がもう少し、そんな気持ちを持てるようになったら、
きっと
もっと生きやすい。
コロナの自粛のように、
もう少し一人ひとり、言いたいことも自粛する世の中になればいいな。
言っていいことと、言わなくてもいいことがあるよね。
自分ももっと気をつけよう。